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(7)認知症に音楽が有効な理由(ワケ)


私が「音楽が認知症に有効だ」と思っている根拠は、人間の脳には<相互作用の同時性>という原理があるからです。
これを平たく言えば、「人は他人の行動やことばを真似ることができる」ということです。
前頭葉を損傷している患者さんとか脳腫瘍の患者さんなど脳に障害を持った人たちと自閉症、認知症の患者さんの症状には共通点があるとされています。
どちらも、動作の手順などをきちんと組み立てらずに服を着ることもできないような症状、会社に行くことも学校に行くこともできないような症状(つまり、道順という手順がわからなくなるというような症状)が往々にして起こるからです。
でも、このどちらの場合も、歌を歌いながら動作をする(あるいは、リズムに乗って手順を暗唱する)と全く問題なく動作の手順を行っていくことができることも同時に報告されています。つまり、子供が「パジャ〜マ、ジャマジャマ〜」と『パジャマの歌』を歌いながらパジャマを着るといつの間にか自分一人でパジャマを着ることができるのと同じような「法則」です。

これが、先ほどの<相互作用の同時性>ということばの具体的の意味でもあります。
つまり、人は相手の動きやリズムに同調してしまうという脳の働きをもともと持っている生物だということと関連しています。
パーキンソン病、自閉症、アルツハイマーなどの病気の人は他人の動きに同調できない、つまり<相互作用の同時性>が保てない病気だとも言われています。
人間というのは、生まれつき「他人の声にあわせて身体を動かす」能力を持っているとされるのですが、これらの病気の人はこの「能力」が欠如してしまうために「自発的な動き」ができなくなってしまうことがあるのです。
医学的には、「動きが閉じ込められている」という表現を使うこともあります。
だからこそ、この「自発的な動き」を起こさせるキッカケを「歌やリズム」などの音楽的要素が与えることができるというのが、一般に言われている「音楽療法」の有効性の根拠の一つです。

さらにもう一つ、心理学者ドナルド・ヘッブの唱えた説に「ヘッブの法則」というのがあります。
これは「記憶は複数のニューロンがグループとなって一斉に活性化することで作られる」という考え方で、シナプスの連続発火説とも言われています。

これは、忘れたことを思い出すのに人は「何かのキッカケ=刺激」があれば「記憶」を引き出せるということからも裏付けられるのですが、この刺激(キッカケ)に最もうってつけなのが「音楽(=リズム)」であるということも広く言われています。
簡単な例で言えば、「かけ算の九九」や「年号の記憶」「円周率」などのように音楽的なリズムで覚えると「記憶」を簡単に引き出すことができるという原理です。

認知症患者も、パーキンソン病の患者もドーパミンの不足によって「認知機能」や身体を動かすキッカケが思うように働かなくなっているのですが、音楽は、「ドーパミン」のようにニューロンとニューロンの間のシナプス間隙を飛び交う神経伝達物質と同じ働きをしてくれるものなのではと私は思っています。
認知症患者の「徘徊」にしてもパーキンソン病患者のさまざまな症状にしても、根本的な問題は「自発的に自分の動きをコントロールできない」ことです。
ある意味、自発的な動きが「閉じ込められている」わけで、この「閉じ込め」を解く力が最も強いのが「音楽」だとされていますが、最も理想的なのは「音楽と運動」が組合わさった「ダンス」だと、オリバー・サックス博士は唱えています。

彼は、著書の中で、自分が診察した患者がダンスを踊ることによってパーキンソン病の「閉じ込め」から解き放たれたというような例をたくさん挙げて「ダンス」や「音楽」の有効性を説いています。
だとすると、例えば認知症患者の徘徊にラップ風に「自宅の電話番号や名前、住所などの個人情報を歌う」ようなクセをつけておけば(患者ご本人と家族がこの歌をふだんから家庭で練習しておくのです)、まったくの他人がその患者さんの「アイデンティティ」を外部の人間が把握する助けになるのではとも思ったりします。
なにしろ、「徘徊する老人」は、自分が誰でどこから来たのかどこに帰れば良いのか患者さんの「ID」がわからないことが一番の問題なのです。
こういう形で「個人情報」を他人が引き出すことは「機密漏洩」でも何でもなく、むしろ認知症患者さん本人やご家族にとっても有益なことなのではと思います。こうすれば、認知症患者(特に徘徊する老人)さんが最も安心する「決めゼリフ」の「さあ、おうちに帰りましょう」ということばをあらゆる人が使うことができると思うのですがいかがでしょうか。
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(6)映画『レナードの朝』とオリバー・サックス博士

私が音楽と医学の関係でまず思い浮かぶ人物は、アメリカの脳科学者で医師のオリバー・サックス博士です。
彼は、現在ニューヨークで世界中から脳腫瘍、脳卒中などの脳疾患の後遺症やパーキンソン病、自閉症などさまざまな疾患で悩む人たちの治療にあたりながら、音楽が医療や介護にどれだけ役に立つのかとかいう事柄を研究したくさんの著書を出版しています。
その中で最も有名な著書が、映画『レナードの朝』の原作となった『目覚めAwakenings』という本です。
六十年代のボストンの病院で、その頃まだインターンだったオリバー・サックス博士は嗜眠性脳炎と呼ばれる難病によって、身体の動きやことばをまったく失ったり、同じ動作を一日中延々と繰り返したり、意味不明のことばをわめきちらす患者などの治療にあたります。

この映画の中で博士は、ドーパミン系のL-ドーパという薬で患者たちを奇跡的に目覚めさせます。
しかし、その喜びの束の間再び元の症状に戻ってしまう患者たちの姿や悲劇が原作や映画では実話として描かれます。
ロバート・デ・ニーロの演じるレナードという患者の青年と見舞客の女性との淡い恋もこの映画の一つの見所でしたが(この部分は創作です)、この映画の結末を観てきっと多くの方は疑問に思ったかもしれません。
というのも、この映画の最後はいわゆる「ハッピーエンディング」ではなかったので、「一体この患者たちはこれからどうなってしまうのだろう?」という何か煮え切らない気持ちのまま映画が終わってしまうからです。
この疑問と煮え切らなさは、実際に治療にあたったサックス博士(映画の中ではセイヤー医師と呼ばれています)自身の疑問でもありました。
病気の原因がドーパミンの不足とわかったものの、このL-ドーパという薬のあまりの効き目と逆にそこから起こる副作用の強さに博士自身も「この薬を本当に使い続けて良いのだろうか?」と疑問に思ったからです。

現在、パーキンソン病の治療にこのL-ドーパという薬は実際使われています。
しかし、その「効果」は絶大であるがゆえに、この「特効薬」のリスクを多くの医師はためらいます(通常は、ドーパミン系の別の薬をまず使います)。
そのリスクは、五十年前のボストンでサックス博士が感じたリスクとそっくりそのまま同じです。
認知症もこのドーパミンが関係していると主張する学者はたくさんいます。
それどころか、自閉症にも多動性障害やその他の精神疾患にもドーパミンという神経伝達物質が関与していると考える説が近年どんどん主流になりつつあります。
しかしながら、だからといってドーパミンを与えればそれで事足りるというわけではありません。
人間の神経細胞のネットワークもシナプスの情報伝達を司るドーパミンなどの神経伝達物質も必ずしも人間に「利する」作用ばかりを起こすわけではないからです。正常な人間では自然にコントロールされるその「量」のコントロールが、薬ではとても難しいのです。

サックス博士は、嗜眠性脳炎の患者の治療で感じたリスクを回避しようと「副作用のない音楽による治療」を思い立ちます。それが、音楽と医療の結びつきです。
以来、彼は、音楽と人間の身体の不思議な関係に着目した治療を行い続けている数少ない医師、脳科学者の一人なのです。
彼の数々の著作を読むと、彼の臨床体験に基づいたさまざまな患者の例が提起されています。
パーキンソン病を患った老女がアイルランドのジグを踊ることによって「自発的な動き」を取り戻した話であるとか、脳腫瘍によって記憶を失った若者が音楽で記憶を取り戻した話、あるいは、「歌を歌う」ことによってことばを取り戻した失語症の患者の例だとかが数限りなく取り上げられています。

サックス博士の治験例を待たずとも、吃音障害や失語症に「歌を歌う」治療が有効なことはヨーロッパではかなり以前から知られていました。
まさしくその良い例が、映画『英国王のスピーチ』の中で取り上げられています。
「映画」は、現在のエリザベス女王の父であるジョージ六世の吃音障害を治癒させた「歌による」治療を随所で描いています。

そして、一昨年の2011年の1月に脳に銃弾を受け瀕死の重傷を負ったアメリカの下院議員ガブリエル・ギフォード議員が奇跡的にことばを取り戻したのもこの歌による「音楽療法」のおかげでした。
このギフォード議員の実際の治療現場を撮影した映像がyou tubeで観られます。
http://youtu.be/TQi7btgt_fw

しかしながら、こうした「薬や外科手術に頼らない治療」は全て「代替治療」として医療の本質とは異なるもの、ある意味、「呪術的な治療」というレベルで扱われてきていますし、その本質は現在もあまり変わっているとは言えません。
とはいえ、原子力エネルギーの代わりに自然エネルギーを代替エネルギーの主流に換えようという方向に世界全体が傾いている現在、人間の心と身体の本質を「薬と手術」だけに頼る西洋医学からもう少し「人間とは何か」という本質的な部分から見直していくと、きっともう少し「優しい治療、優しい介護」に辿り着くのではないのかなと思わずにはいられません。

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(5)宗教と音楽

日本で暮らす現代人は日常生活で「宗教」とあまり関係のない暮らしをすることが多いせいか、音楽が宗教と関係があるといっても「?」と思われる方が多いでしょう。
あるいは、音楽と宗教との関係というとすぐにバッハなどの「宗教音楽」を連想される人も多いかもしれません。
確かにこの連想自体が間違っているとは言えませんが、音楽と宗教の関係というのは「たったそれだけ」の関係でもないのです。
例えばこういう言い方をすればわかっていただけるでしょうか。
「宗教と関係のない音楽はあるかもしれないが、音楽のない宗教は存在しない」

キリスト教には、ご存知のようにプロテスタントでは讃美歌がありますし、カソリックでも聖歌というものがあります。古く中世時代にはグレゴリオ聖歌というものもありました。
そして、仏教にも声明やお経があり、私たちは、数々の仏事のたびにこの「お経」が演奏されるのを耳にします。
「…? お経が演奏される?」
ひょっとしたら、この「お経が演奏される」という言い方に違和感を感じる人も多いかもしれませんが、仏教の教義には「お経」はまさしく「音楽」と位置づけられていますし、お寺によっては「お経」は鐘や太鼓などの楽器と一緒に唱えられるところもあります。
それでは、イスラム教はどうかと言えば、そこにもまさにコーランという「祈り」の音楽が存在しています。
イスラム教の教典であるコーランが節をつけて信者同士のユニゾンで毎日、一定の時間に世界中で一斉に「歌われる」姿は、仏教での「お経」やキリスト教の「讃美歌」と、その意味において何ら変わりはありません。
しかも音楽は、こうしたメジャー宗教だけでなく、ありとあらゆる新興宗教にも存在しています。
ひところ日本中を騒がせた「あの新興宗教」も、プロ音楽家が参加して「音楽」をプロパガンダとして作り続けたことは記憶に新しいところです。

では、なぜそうなるかというと、音楽とはそもそも何かということと宗教とはそもそも何かということを考えれば自ずとその理由も明らかになってくるのです。

人間が元々暮らしていた原初の時代に人が一番畏れたものは「自然」だったはずです。人の力など自然の力の前にはひとたまりもありません。そんな自然の怖さと常に向き合っていくために、それを恐れ敬い静めるために人々は「祈り」、その祈りの中にさまざまな「音」を取り入れていったと考えられます。
それは「声」だったり、ものを叩く音だったり、ものをこする音だったり、吹く音だったりしたわけで、それらが現在の楽器の元になっていたことも容易に想像がつくでしょう。
問題は、その「音」を聞かせる相手です。
けっしてそれは私たち人間などではなかったはずです。
私たちの「祈り」の先にあるモノは人が敬い畏れる「異界の存在」、まさしくそれが「神」だったのではないでしょうか。
つまり、ここで理解しなければいけないことは、「祈り」は音楽そのものであり、宗教そのものだったということです。
人が祈るのは「神(=異界の存在)と対話」をしたいからです。
ですから、その「祈り」がより「神」に届くように声だけでなくさまざまな方法(=楽器)で「音楽」として行われるようになったのも自然な流れだったと思います。
祈りは異界とのコミュニケーションであり、それはすなわち音楽によるコミュニケーションに他なりません。

先ほどのバッハですが、バッハの職業はプロテスタント教会のオルガニストでした。
このオルガン(パイプオルガン)という楽器は、実は、人間の耳には聞こえない音まで出すことができます。
人間の耳が聞こえる可聴範囲をはるかに越える低い音や高い音を出すことのできる楽器です。
何のためにこんな楽器が存在しているのでしょうか?
人間が聞こえない音まで出す必要が一体どこにあるのでしょうか?

実は、この楽器のポイントは、ここにこそあります。
「神とのコミュニケーション」に必要だからです。
バッハの音楽は「人と対話する」ために作られた音楽ではなく、まさしく「神と対話する」ために作られた音楽だったのです。
この考えをさらに発展させると…。何が起こるのでしょうか?
ここが、最も面白いところです。
「音楽は、『異界の存在』だけではなく、人間の内部にある『異界』、つまり、人間の細胞にだって働きかけることができるのではないだろうか?」
そう考えると、「音楽」と「医療」のコミュニケーションも可能になってくるはず、と考える人も当然出てきます。
そうやって「細胞レベル」「分子レベル」での音楽と医療の関係を真剣に研究している科学者は世界中に大勢いるのです。
これこそが驚きではありませんか?

(4)動きと音楽=イメージが動きを作る

いつの頃からでしょうか、スポーツ選手にイメージトレーニングが欠かせなくなったのは。
ゴルフの選手がスイングする前に自分の打った球の軌道や高さ、スピードなどをしっかりとイメージしてそれを実際に行う。あるいは、イチロー選手のように、打席に立つ前に自分のスイングの形だけでなく相手ピッチャーのクセや配球を読み、自分が今何をしなければならないかを適確に判断してその通りのバッティングを打つ前にイメージした上で打席に入り、確実にそれを実行する。
もちろん、何事もイメージ通りにできれば世話はないのですが、スポーツの場合、実際の結果がイメージ通りになる確率が高いほど一流選手と言われるわけです。
これは音楽家でもまったく同じことです。
演奏家は、それが何の楽器であれ(あるいは指揮者であれ)指を楽器の上で動かす前に出すべき音をイメージしています。もしそれができないとしたら、音楽家としては失格かもしれません。
なぜなら、音楽家も先ほどのスポーツ選手と同じように、結果(しかも高いレベルの結果)をイメージしてそれを実行する能力を培うために日頃から鍛錬、訓練、練習を怠らないようにしているからです。
自分はこういう球を打ちたい、自分はこういう音を出してこういう演奏をしたいというイメージがない人は、ゴルフクラブや楽器に触る資格すらないかもしれません。

私がそこまで言い切れる理由の第一は、スポーツ選手にしても演奏家にしても、いっけんとてもフィジカルな身体の動きをやっているように見えますが、実際に身体を動かすところは手でも足でもなく脳だからです。
人の手や足は脳からの命令で動いているだけです(意志に関係なく動く突発的な反射も中枢神経からの指令なしには動きません)。
それが証拠に私たち人間は、時にどうしようもないほど「あがり」ます。
この「あがる」という状態を作り出しているのも脳です。
本番でパニックになって動かなくなるのは手や足(音楽家の場合なら指)、身体、そして心臓がパックンパックンしてくるわけですが(心臓の弁の動きも手足と同じフィジカルな動き)、その元を作っているのは明らかに脳です。
もし脳が何も考えないで本番に臨めれば人があがることはほとんどないでしょう。人は、「絶対に失敗できない」「失敗したらどうしよう」と自らの脳が自らの身体をパニックに陥れているのです。
ということは、逆に言えば、どんな一流の演奏家でもあがる可能性は十分あるわけですし、パニック障害を患う人のほとんどが「完璧主義者」だというのも、このことからある程度頷けます。

妻の恵子が脳卒中に倒れ半身が麻痺してしまった時、私はある人にアドバイスを仰ぎました。
恵子よりも早く同じ病気に罹患し、今はもう社会復帰を果たしていた友人です。
彼のことばはものすごく新鮮で、かつ私たち夫婦のリハビリにとても有意義なものでした。
その彼のアドバイスの中でもとりわけ印象的だったのが次のような彼のことばでした。

「みつとみさん、この病気のリハビリは楽器の練習と同じだよ。脳卒中というのは、脳から命令が末端の神経まで行かずに途中でそのネットワークが寸断されてしまったの。例えば高速道路の一部が壊れてしまって目的地まで行けないような状態を想像してみてください。でも、高速道路が壊れて通れないからといって目的地まで行くのが不可能になったわけじゃないことも知る必要があるんです。迂回路というのは幾つもあるはずなんです。もしかしたら時間は十倍も二十倍もかかるかもしれませんが、迂回路を作ってやればちゃんと手足は動くようになるんです。その迂回路を作るための訓練がリハビリ。これは、楽器の練習と同じなんです。世の中に生まれた時から楽器ができる人なんて一人もいません。みんなゼロから指の動き、手足の動きを覚え、そして最終的に楽器をマスターできるようになるんです。でも、正しい先生に習わないととんでもないことになりますよ。正しいイメージを教えてくれる先生に習って楽器を練習していかないといつまでたっても上手にはなりませんからね」。

以来、私は妻の恵子にリハビリ訓練時、常に「正しいイメージを持って身体を動かすように」と言うようになりました。
そして、彼はこうも教えてくれたのです。
「誰でも自分の身体にちゃんと先生を持っているんです。右手右足は動かないかもしれないけど、左手左足はちゃんと動くでしょ。だったら、その動く左手左足をしっかりと観察してイメージを作っていけば良いのです」。

この教えを私と妻は未だに守り続けています。

(3)(記憶と音楽)

お年寄りが、子供の頃や若い時などの遠い過去のことはしっかりと記憶しているのに、今朝食べた食事の中身を忘れたり、昨日会った人との約束を忘れたりすることによく皆さんは気がつかれるでしょう。
だんだん年を取ると「もの忘れがひどくなって…」とボヤかれる人もたくさんいらっしゃいます。
この「記憶」のメカニズムと音楽というのはけっこう密接な関係があります。
その説明の前に、まずは一つの「仮説」です。

人間の記憶には長期記憶と短気記憶があって、それぞれを記憶するための脳のメカニズムはそれぞれ異なっているという考え方があります。つまり、長期記憶というのは、パソコンのハードディスクのようなものに記憶がファイルとして「蓄積」されていて、それがあるキッカケで取り出せるような仕組みになっているというメカニズム。
一方、短期記憶というのは、実際は「記憶」ではなく、脳の神経回路のリアルタイムな「認知作業」そのものだという考え方です。パソコンに例えるならば、長期記憶がハードディスクに収納された「ファイル(=記憶)」ですし、短期記憶は、脳の神経回路が働いているかどうかという問題で、つまりはメモリーに匹敵にします。

ですから、認知症の方というのは、けっして「記憶」がなくなったわけではなく、脳のネットワーク作業、つまり「認知作業」に支障をきたしているだけですから昔のファイル(=記憶)はしっかりと脳の中に残っていてもけっして不思議ではありません。
ところが、さっき言われたことをすぐに忘れてしまうのは、実際は「忘れてしまった」わけではなく「認知作業」そのものの働き(シナプスでつながる神経回路の働き)がうまく行っていないわけで、「言われたこと」自体が認識できていなかったかもしれないのです。
例えば、自宅から駅までの道がわからなくなり迷子になってしまうといったことは認知症の患者さんにはよく起こります。でも、これも「道順」というきちんとしたファイルが脳からなくなってしまったと考えるよりも、駅から出てあそこの家を曲がって、コンビニを通り過ぎて、なんとかさんの家からの坂を降りていくと駅というネットワークとしての「認知作業」をきちんと行うためのキッカケがどこかで欠落してしまい、「道順」という認知ネットワークが動作しないと考える方が理にかなっています。
つまり、駅に行くまでのそれぞれのポイントにあったキッカケが認知ネットワークから追い出されてしまい結果道に迷ってしまうのかもしれないのです。
つまりは、パソコンのメモリートラブルに似ています。

でも、こんなこと健常者の私たちでもよく起こります。疲れ過ぎていたり何か別のストレスで脳が正常に働かなくなったりする時に起こったりします。
つまり、そんな場合、健常者の脳の中でもドーパミンとかセレトニンとかいった神経と神経の軸索を結ぶための神経伝達物質の量が一時的に足りなくなり正常な神経回路のネットワーク作業が行われなくなってしまうからです。これが恒常的に起こるのが認知症(あるいは、高次脳機能障害)だという風にも考えられます(認知症にもいろいろ種類がありますからこれで全てが説明されるわけではありませんが)。

これはまだ、あくまで仮説に過ぎませんが、この考え方で「認知症」の患者さんや多くのお年寄りと接すると、この記憶や神経ネットワークの働きに音楽が果たす役割はけっして少なくないと感じられるはずです。
人は、ある重要な情報を「記憶」として固定するためにかけ算の九九のようにゴロを使って覚えたり、歴史の年号を覚えたり、電話番号などさまざまな記憶しにくい情報に音楽的な要素を結びつけることで「記憶」を脳の中に固定しようと努めます。
音楽的なキッカケ(リズムやメロディなど)が神経伝達物質の代わりをしてくれるのです。
ある意味、日本の俳句、短歌、和歌も五七五のリズムの中で「うた」を作りその中にさまざまな情報をインプットする方法だったのかもしれません(この方法を使って幕府の隠密が虚無僧に扮し尺八のフレーズと共に歌の中に情報を忍ばせて暗号として持ち帰ったという説もあります)。

だとすれば、この方法は、現在深刻な社会問題になっている認知症の人たちの徘徊によるトラブルを解決する重要なヒントになるかもしれません。
例えば、「でんわばんごう、でんわばんごう、…」とリズムをつけてその後に自分の電話番号をつなげて覚えるという手法を各家庭でやれば、そのリズムと「上の句」と「下の句」のリンクで情報を認知症患者の人たちから引き出すことができるかもしれません(あるいは、できないかもしれません)。

音楽のリズムには、本当に人間の身体が「抗う」ことのできないほどの力があるわけですから、この方法を実際に試してみる価値は十分にあると思います。
少なくとも、お金もほとんどかかりませんし、何よりもクスリの副作用は全くないわけですから。
プロフィール

みつとみ俊郎

Author:みつとみ俊郎
MUSIC-HOPEプロジェクトを主宰するみつとみ俊郎は、作曲家、フルーティスト、音楽評論家、指揮者として40年間日本、アメリカの第一線で活躍してきた音楽家。脳卒中に倒れた妻の介護をしながら音楽を医療、介護の現場で役立てるため、日々研究と実践に励んでいる。

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