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(2)人はリズムで生きている=リズムの魔法

まず最初に、そもそも皆さんが、「音楽って何?」と聞かれたらどう答えられますか?
おそらく十中八九皆さんの頭の中には、「ビートルズだとかラップだとか、クワタだとかバッハだとかの具体的な曲名やアーティストのことが思い浮かぶはずです。
つまり、現在、人が考える音楽というのは、(音楽=音楽作品)であることがほとんどなのです。

きっと音楽は何と聞かれて「毎日歩いているリズムです」などと答える人などいないと思います。
あるいは、「昔子供時代にお母さんの背中で聞いた、何だかよくフレーズも覚えていないような『子守唄』です」と答える人も稀だろうと思います。あるいは、そんな答えはまったく返ってこないかもしれません。
それぐらい、現代人にとって音楽とは具体的な「演奏」だったり、それを演奏する「アーティスト」だったり、そこから流れて来る「曲」だったりするのです。
ですから、「私は誰々が好き、私はあの曲が好き」という風に、音楽を「嗜好品」と考える人が多いのです。
しかし、このように音楽を趣味や嗜好品として考えるようになったのは、せいぜいベートーベン以降のたかだか二、三百年ぐらいの話なのです。それ以前の長い歴史の中で人類にとって音楽というのは、もっともっと違った風に考えられていたのです。

 私は、プロの音楽家ですので、いろんな人のために(あるいはいろんなシチュエーション)で演奏をします。
それは、「音楽愛好家」の人たちばかりでなく、幼稚園や保育園での演奏だったり、介護施設でのお年寄り相手の演奏だったりします。
でも、こうやって年齢も環境もまったく違うさまざまな人たちを相手に演奏をしていると「あること」に気がつきます。
それは、「音楽はことば以上に心と身体をつなぐコミュニケーションの道具なんだ」ということです。

ここが一番のポイントなのですが、音楽を「音楽作品」と定義するのではなく、「コミュニケーションの道具」と定義するとこれまで見えなかったさまざまなモノが見えてきます。
例えば、子供たちとおしゃべりする時とお年寄りたちとおしゃべりする時に使うことばや表現は同じでしょうか。きっと違うと思います。
十歳にも満たない子供と八十代の方に何か具体的なモノの説明をする時使うことばはきっと違うのではないでしょうか。ことばだけでなくことば使い、イントネーション、テンポやリズムも違ってくるかもしれません。

なぜそうするかと言えば、私たちは、無意識に十歳以下の子供と私の間に共通のことばは一体何だろうか、どういう単語を使えば子供たちは理解してくれるだろうかとまず「意思の疎通=コミュニケーション」を考えるからです。
子供と老人では生きてきた年数が違いますから自ずと「記憶の蓄積」が違っています。ということは、それぞれ「通じることば」が違うということになります。
となると、ことばだけでなく、音楽によるコミュニケーションの方法も当然異なってくるのではないでしょうか。

幼稚園で演奏する曲と介護施設で演奏する曲は違います。
そんなの当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、この違いはかなり重要ですし、ある意味この違いこそが「音楽」の本当の意味を私たちに教えてくれるものなのです。

例えば、幼稚園や保育園で演奏すると必ず「受ける曲」というものがあります。クラシックのレパートリーでロシアの作曲家ハチャトゥリアンという人が作った『剣の舞』という曲があります。とても早いテンポで激しいリズムの良い曲です。学校の鑑賞教材にも入っている曲ですので、おそらくどなたもこの曲に一度や二度触れたことはあるはずです。
でも、この曲には「曲を知っている」とか知らないとかにまったく関係ないとても不思議な力があるのです。
この曲を聞くと、子供たちはまるで魔法にでもかかったかのように狂気乱舞して踊りだします。身体が勝手に動いてしまう。そんな感じです(童話の『ハメルンの笛吹き』の話を思い出す方もいらっしゃるかもしれません)。

とはいえ、別に、この『剣の舞』だけがそんな魔法を持っているわけではありません。例えば、多くのアニメソングなどのノリの良いテーマソングを聞いてもきっと子供たちは同じような反応をするでしょう。
つまり、ここでのポイントは、音楽の「テンポ」とか「リズム」なのです。

この音楽のテンポとリズムを利用して人間の身体を動かすのが「行進曲」という音楽の役目です。
「人を一定のリズムで秩序だって歩かせていく」目的で行進曲は作られ演奏されます。
もし目的が「歩く」ことではなく、「走る」ことだったら行進曲のテンポははるかに早いテンポになっていることでしょう。きっと『剣の舞』ぐらい早い曲でないと人は「走る」ことはできないのかもしれません。

そして、もう一つ重要なポイントが「リズム」です。
全ての行進曲は二拍子でできています。なぜ二拍子かは単純な理由です。人間が歩くために必要なビート、リズムは、右足、左足と順番に交互に出していくために必要な「1、2」というリズムだからです。
これが「ワルツ」のように「1、2、3」というリズムだったら人は歩くことができません。きっと多くの人たちは行進するどころかたちどころに「転んで」しまうでしょう。

脳卒中の後遺症のために右半身が麻痺してしまった私の妻は、杖を使って歩く時、時々歩けなくなってしまいます。足がまったく止まってしまうのです。
その時彼女の脳の中で何が起こっているかと言えば、「足を右、左と交互に1、2というリズムで出していきなさい」という命令を出せなくなっているか、あるいは、命令を出しても足の方までそれが届いていないかのどちらかの状態です。

この状態を打開するための方法は一つです。
「歩く」というリズムを身体が意識的に行っていくための「トリガー」を出してあげなければなりません。つまり、それは私という第三者であったり、妻自身の脳が「1、2」という「歩くリズム」を作っていくことなのです。
私は、立ち止まり「固まって」しまった彼女に向っていつも「1、2、1、2」と歌い続けます。すると、彼女自身も彼女の頭の中で「1、2」のリズムを作っていこうとするのです。

時間はかかっても、いつも結果的に彼女の「歩行」は再開します。
つまり、幼稚園の子供たちが『剣の舞』のリズムに逆らうことができずに自然に踊りだしてしまうのと同じ原理です。
私の妻も「1、2」という人間の身体がもともと持っている自然の二拍子のリズムを取り戻し、その結果「歩くことが」できるのです。

これは、人のさまざまな病気にも応用が効く「音楽の力」の一つです。
パーキンソン病も自閉症も身体と心のコントロールがきかなくなってしまう病気です。パーキンソン病は主に身体の動きが、自閉症は主に心の動きが「閉じ込められた」結果起こる病気です。
私の妻の身体に起こった麻痺も、ある意味、脳卒中という病気によって身体の動きが閉じ込められてしまっていると言っても良いでしょう。
こうした「閉じ込められてしまった心と身体」を解放する役割を音楽は持っています。というか、これが音楽のもともと持っている「リズム」や「テンポ」といった力の働きです。

こうした「音楽と人間の心と身体の関係」をもっと深く、より真剣に探ってみる必要があると皆さんは思われませんか。
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

みつとみ俊郎

Author:みつとみ俊郎
MUSIC-HOPEプロジェクトを主宰するみつとみ俊郎は、作曲家、フルーティスト、音楽評論家、指揮者として40年間日本、アメリカの第一線で活躍してきた音楽家。脳卒中に倒れた妻の介護をしながら音楽を医療、介護の現場で役立てるため、日々研究と実践に励んでいる。

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